いちの父です。
よく話題にあがるPTAの必要性ですが、
令和3年度の小学校PTA会長を務めた経験から
私は「PTAは必要」と感じました。
以下、必要と感じた理由です。
①学校側に意見を言える組織が他にない
②PTAだからこそできる取り組みがある
③良くも悪くも「強制的」
それぞれ詳しくお話していきます。
①学校側に意見を言える組織が他にない
私がPTA会長を務めてまず感じたことは、学校側はPTA役員の保護者に対して必要以上に気を使っているということです。
学校側としては行事等含む運営をスムーズに進行していきたいという思いや、学校のことで時間を使わせていることに対する感謝の気持ちの表れがあると思います。穿った見方をすれば、何か問題が発生しても、保護者代表の「許可を得てやっています」という後ろ盾を確保しておくことも必須なのでしょう。
そのような関係性から、PTA役員には発言力があり、学校側に意見を言える立場と言えます。
仮にPTAという組織がなく、その都度都度で学校側に意見を言う保護者が出てきた場合に学校運営がうまく回らず、そのツケを子どもたちが払っていく様が容易に想像できます。
結局必要なのは、保護者全体の意見のバランスを取り総意を伝えることができる立場の人間です。
最近のことで言えば、コロナに関する認識が保護者それぞれでバラバラなことが良い例ではないでしょうか。
責任を伴わない意見や、自らの家庭事情が色濃く出ている意見は必ず方向性を見失い、まとまらなくなります。ある程度のところでバランスを取りながら、学校側、保護者側双方の落とし所を探る作業はどこかのタイミングで必要となってきます。その役割を担うのはPTA役員ではないかと感じました。
②PTAだからこそできる取り組みがある
PTA会長になって初めてわかったことですが、地区毎のPTA活動に対する意識に大きな温度差がありました。
私の地区のPTA活動は非常に消極的です。会長を決めるときも誰かが立候補するわけでもなく例年くじ引きでPTA会長を決定しています。もれなく私もその流れで会長になりました。
その流れは良くもあり、悪くもあります。
仕事の都合や家庭の都合で会合などへの出席が難しく、なおかつPTA活動に対してメリットややりがいを感じない人が会長に当たったときには、まわりから見られる目も「可哀想に会長があたってしまって。。。」となるため、ハードルが下がります。仮に会合に欠席したり積極的に行事に関わらなくても、他の保護者が誰も立候補しなかったわけですから文句を言われる筋合いもありません。そういう意味では会長になっても気楽な部分はあると思います。
また、本心は会長をやってみたいと思っている人も立候補してしまうとハードルが上がるなと感じている人にとっても良い点と言えるでしょう。
本当に会長をやりたくない、またはできない人が会長になる可能性がある。
くじびきはそんな人にとってはストレス以外のなにものでもありません。
では、温度差でいう「高温」と感じた学校に対して何を感じたか
率直に「子どもたちのために保護者が真剣に考えて企画、実行している」です。
「保護者たちが自己都合でPTAを利用している」と感じていれば、おそらく私の気持ちも萎えていたでしょう。
・大規模に地域を巻き込んで子どもたちの活動を金銭面含めサポートしている
・楽しみながら奉仕活動ができる仕組みを整えている
・親・子・地域が参加できるイベントを企画、実行している
PTA主導で行われているものですが、このような活動は有志の保護者による呼びかけや行動で行うのは難しく、PTAという組織・システムがあったことによって実現可能となったものと考えます。
100%が子どもたちのためではなく、下心があるかもしれません。
でも、それはそれで良いと感じました。
事実として、そこまでのことをするのに相当な労力を使ったでしょうし、なにより「子どもたちのため」になっているのですから。
「低温」のPTA活動ではそうはならないでしょう。
③良くも悪くも「強制的」
PTAに入ることも役員選出も「強制的」で、面倒くさいと感じる人が多いと思います。
私もそうでしたし、色々と経験した今もそうです。意味を見出だせない会合は出席するのが面倒ですし、そのために仕事を調整したりプライベートの時間を犠牲にしていることに対して嫌気が差すこともあります。
面倒くさがりの私は「強制的」だからやっているのです。
でも、だからこそ「良い」と感じることもあります。
仮にPTAという組織がなくなり有志の方で様々な学校運営に協力していく形をとったとしましょう。そうなった場合、協力の呼びかけがあれば、もちろん参加します。
「都合がつけば」ですが。
私の場合は、会社に説明するときに「PTA」というワードが結構強力だったりします。それは一般的に「強制的」というイメージが刷り込まれているからだと思いますが、それならしょうがないなとなることが多いです。ところが、学校関係の有志の集まりに参加するために仕事の時間を調整という話になれば果たしてどう相手に捉えられるかは微妙なところですね。
夫婦共働きも増え、限られた時間の中で学校行事等に時間を割ける人は今後も少なくなっていくのではないでしょうか。しかし、子どもの体験する場を増やしてあげたり、学校生活をサポートしていくためには人手不足の学校側だけに負担を負わせるわけにもいかず、「強制的」な「PTA」という組織を作っておくことは、保護者・子ども・学校にとって一定のメリットがあるのではないでしょうか。
まとめ
現時点でPTAは必要と感じているのは間違いないですが、それと同時にもっと保護者の不満を解消する方法があるのではと思っていることも確かです。PTA役員は、役員をすることによって得られるメリットが大きい人が積極的に引き受けるのがベストですし、それが本人・子ども・周りの保護者のためになります。今後もしばらくこのPTA問題は続いていくものと思いますが、私はPTA活動を頑張っている方のことを応援していきたいです。
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